くらし
登米に暮らそう!登米で育とう!第三回 登米で農業をするということ1
登米での暮らしを紹介する「登米に暮らそう!登米で育とう!」コーナー。
今回は登米市へUターンで農業3年目。糖度満点の「石堂sunにんにく」を食卓に届けるため、日々アイディア構想中の石堂ファーム 石堂 貴博さんのインタビューをお届けします。
宮城県登米市でにんにく農園を営む、石堂さん45歳。東京で朝から晩まで働いていた建設業界でのサラリーマン暮らしから新規一転、故郷である宮城県登米市へ家族とともにUターンし、42歳ではじめた農業と田舎暮らし。そんな農業をはじめて3年目の石堂さんが今思うこととは。
profile
石堂ファーム 石堂 貴博さん
宮城県登米市出身。45歳。東京から故郷である登米市へ42歳の時にUターン。石堂ファームを立上げ、糖度満点のにんにく「福地ホワイト六片種」を育てている。信条は「Challenge」。
地元で農業をはじめた理由
東京で出会ったバリバリはたらく奥さんも一緒に仕事を辞めて、農業の道へ。
東京暮らしを卒業して農業をはじめようと思ったきっかけをお聞きしました。
「東京にいた時に東日本大震災があり、地元に対して何もできなかったという思いがありました。そして結婚して5年後の40歳の時、担い手不足の地元で農業をやろうと思い立ったんです」
東京にいる時から、奥様との共通の趣味が登山やトレッキングという石堂夫妻。出かけている自然あふれる環境は登米市と変わらないと感じたそう。
「農家の生まれではありましたが、東京でのサラリーマン時代が長くほとんど農業の経験はなかったんですが、今だったらやれる。地元に貢献できる。そう思ったんです」
「妻は保育士で、国際モンテッソーリ協会の国際インストラクターとしてバリバリ働いていました。その妻に2年間相談。説得してゼロから農業にチャレンジすることになりました。42歳の時でした」
青森出身の奥様は
奥様にも、登米での暮らしについてお伺いしました。
息子さんとお腹の中にもう一人赤ちゃんがいらっしゃいますが、こちらでの暮らしはいかがですか?
「私は青森県八戸の出身ですが、東京での生活が長かったので、最初は外国に来たみたいな文化の違いに戸惑うこともありました。でも、人間は順応するようになっているんだなって。今は、おじいちゃんやおばあちゃん、親戚も近くにいて、自然の中で子育てしやすい環境だと感じています」
「今まではモノは消費することがすべてだったんですが、こちらでは手作りも増えて。朝一で庭の栗拾いをしておやつを作ったり。お金はかからないけど、手間暇かかる生活。都会だとこれを『丁寧な生活』っていうみたいですよね」
「主人も私も東京で、夜9時まで働いていました。今は真逆。夕日ってこんなにきれいだったんだとか、朝の空気ってこんなにきれいだったっけとか、そういった豊かさを感じる生活ができています」
農業初心者として
ゼロからのスタートは簡単ではなかったと話す石堂さん。土づくりアドバイザー、食の6次産業化プロデューサーLEVEL2という資格を取って農業の知識も付けていったそうです。
「畑として使える農地がなかったんですよ。最初は250平方メートルくらいの土地を友達のお父さんから貸してもらって。一度この登米市という土地を出たということもあり、最初は相手にしてもらえませんでした。でも、朝からずっと黙々と畑仕事をしていた姿をみてもらっている内に、だんだんとコミュニティも広がって。たまたま青森の方で雨が降って植えられなくなったにんにくの種が100kgぐらいあって、これを植えたら?とすすめてもらったのが、にんにく『福地ホワイト六片種』を栽培することになったきっかけです」
フットワークとバイタリティ溢れる石堂さん。信条とする「Challenge」精神が糖度満点「石堂sunにんにく」を成長させています。
「にんにくを植えるためにどうしようと考えて、農協の組合員になり、そこには『にんにく部会』というのがあって、部会に入ると青森からきたにんにくを買えることを知りました。 青森県の面積の1000分の1くらいではありますが、今、登米はにんにくの生産が県内一なんです」
「イベントでは、大崎市の野菜ジェラート専門店『なるこりん』さんでにんにくのジェラートを期間限定で販売してもらったり、地元の『coFFee doctors』さんという飲食店さんにお願いして、りんごとニンニクを使ったパイを作ってもらったり。ご協力いただきながら、たくさんの方に『石堂sunにんにく』を知って食べていただいています」
こういったアイディアは、石堂さんのひらめき。常に思いついたアイディアを奥さんに話して一緒に考えているそうです。
子どもたちに伝えたい
JAみやぎ登米の青年部にも所属している石堂さん。登米市の魅力は、きれいな景色の中で子どもがのびのびと育つこと。そして野菜も米も水もとてもおいしいと誇らしげに話してくれました。
子どもたちに登米産の農産物に親しんでもらう取り組みも行っているのだとか。
「『バケツ稲』といって、この土地でもう30年くらい続いているんですが、小学校に行って子どもたちとバケツに土と水を入れてちっちゃい田んぼを作る活動もしています。また、登米市でNHKの朝ドラのロケをやっていたんですが、飲食店さんにロケ弁用の食材を青年部から提供して、登米の食材のすばらしさを記憶に残してもらう目的で、俳優さんたちに食べていただきました」
東北で働きたい人へ
石堂さんは6次産業化を視野に、にんにくの加工場を作ったそうです。さらに、7月には漬物加工業の許可もとってにんにくの漬物も作るとのこと。進み続ける石堂さんからメッセージです。
「私はたくさんのチャレンジをしていますが、コロナの影響で売り上げに波があったりで、まだ軌道にのったとは言えません。ですが、常に『石堂sunにんにく』をどうやってたくさんの方の食卓に届けられるか常に考えています」
「登米市は、30代から40代の中間の農業就労者がとても少ないんです。担い手は不足していますが、IターンやUターンでゼロから農業をスタートするには、技術や農地を手に入れるというハードルがあり、憧れだけでは厳しい世界というのも事実。今、新規就農する制度があって、2年間と5年間勉強することができます。例えば、2年間はトマト農家、5年間はキュウリ農家とかに行って指導を受けながら土地を探す方法もあります。修行期間は長いですが、チャレンジすることを忘れずに進んでいくことが大切です」
「私の目標は、宮城県の全市町村に自分の『石堂sunにんにく』を届けたいっていうのがありまして、それが大きな夢ですね」
石堂ファーム