くらし

登米に暮らそう!登米で育とう!第四回 登米で農業をするということ2

登米での暮らしを紹介する「登米に暮らそう!登米で育とう!」コーナー。

今回は宮城県登米市で水菜栽培を中心とした農園を営む、橘さん36歳のインタビューをお届けします。

農家出身でも、登米市出身でもない橘さんがここまで何を思い、どんな苦難を乗り越え、どうやって今に至ったのか。終始、真剣なまなざしでお話いただきました。最後に話してくれた「本音」は、母と子を想うとてもやさしいものでした。「働くことの意義」そういったことを振り返ることができた取材時間でした。ご一読ください。

 

profile

ビーアイジーファーム代表 橘 歩さん

東京都出身、宮城県育ち。31歳でビーアイジーファームを立上げ、水菜を中心にトウモロコシやブロッコリーも栽培している。苦難を経験しながらも、独自の戦略で邁進する農業界の叩き上げ。

 

水菜との出会い

もともと農家出身でない橘さんが農業をはじめたきっかけをお聞きしました。

「農業高校出身なんですけど、学生時代は農業が好きじゃなかったんです。その頃は就職氷河期時代。学校の授業で『これからは農業・医療・福祉の人材が必要になる』と聞いてから、農業って今は日の目を見なくても、10年後に国からお金を貰える公務員のような安定した業界になるんではないかと思って選択しました」

「高校卒業後、宮城県大崎市の農業生産法人に就職し、立ち上がったばかりの園芸部門で、入社した年に水菜の栽培管理の責任者になりました。それが水菜栽培との出会いです。毎日、たくさん学びながら365日水菜を育てていました」

 

「農福連携」を経験

「農福連携」とは、障がいのある方などが農業の分野で活躍し、働く機会ややりがいを生み出す農業と福祉が一体となって連携する取り組みのことをいいます。

水菜との出会いをもたらしてくれた会社に約7年従事し、26歳で退職した橘さん。ここから新たな経験を積んでいきます。

「20代の頃、『30歳で独立』という目標があったので、どういうルートで目標値までいけばいいか考えていました。会社組織の農業は利益第一ですが、それ以外の『農福連携』とか利益以外の農業を勉強していました」

「その頃、東日本大震災があり、震災後に石巻のNPO法人で5年ほど復興関連の仕事を経験しました。津波被害のあった地域のおじいさんやおばあさんと一緒に農業をしたり、障がい者の方々と農業の就労支援の仕事もしました。障がいのある方々は、体力的に長時間は働くことがむずかしいので、それ以外の時間は私たちが作物を育てていました」

 

31歳で独立

「働きながら、市内外で農地を探すところからスタートしました。農家出身ではなく、新規で独立して農業をやる人には、日当たりや水などの立地条件が悪い農地しかなく、畑として利用するまでには2~3年かかるところしかありませんでした。そういった非常に高いハードルがあるのが今の現状です。結果、登米市にいる妻の親戚の叔父を頼って、条件にあった農地を手に入れることができました。これから新規でチャレンジしようとしている人たちには、成功談だけでなく失敗談も伝えて、生かしていただきたいです」

「今、若い人たちが農業をやると国から助成金がもらえる制度があるんですが、その逆バージョンがいいのではないかと思っていて。 例えば、65才で離農してその土地を若い人たちに預けたら、退職金のような金額が支給される。そうすることで、農地は有効活用され循環が生まれる。高齢者にメリットもあり、回り回って若手にもメリットが回ってくると思うんです」

「国からの助成金は、農地を確保して独立をする段階でいただくことができます。しかし、まず農地確保のスタートラインに来るまでが大変。ゼロからイチにするまでが大変でしたね。そして経営をスタートして、農業経営は特別なものではなく、経営の世界は甘いものではないことをあらためて経験しました」

 

育てる人によって味が変わる

独自の戦略で探究を続け、成果につなげる橘さん。

「栽培ってすべて化学式。その化学式が土の中でどういう反応を起きるか考えたり、腐るってどういうことなのか、その原因を考えたり。肥料の組み合わせで、植物自体を強くしたり、土の中にいる悪い菌をおさえていい働きをする菌にどうやってがんばってもらおうかとか、いろいろと調べながら考えています」

「また、最近は化学肥料や農薬を嫌う人が多いのですが、農薬は、虫がつかないように、そして病気にかからないようにする予防接種の様なイメージ。化学肥料や農薬はすべて定められた一定の基準で使用しているので、安全なものであることを知ってもらいたいですね」

「私たちの仕事は、どこまでいっても作物が中心。私たちは作物をサポートするしかできない。水菜やトウモロコシやブロッコリー一本一本がいい環境で育つことを目指してやると、健全な成長をしてくれます。腐りやすい、病気にかかるというのは、適切な環境を作っていないということになる。そこを意識していますね」

「トウモロコシはすべてハウス栽培。ビニールハウスの昼と夜の約20度の気温差がトウモロコシを格段に甘くしてくれます。また、露地栽培よりも1ヵ月早く収穫できるので、他と重なることのない早い時期に販売ができます。直売だけで販売しているのですが、『おいしい』と言ってくれて1日3回も買いに来てくれたおばあちゃんもいるんですよ」

 

東北で働きたい人へ

今後の夢や展望とあわせて、これから農業を志す世代への言葉です。

「ゆくゆくは農業で雇用を生み出し、託児所のある会社にしたいんです。社会貢献とか企業イメージという『建前』があるんですが、うちは母子家庭で、母親が来るまで保育所で待っていた時、お迎えが遅くなるとすごく不安だったんですよね。母親の顔をみて安心して泣きそうになるほどうれしかったので、そういう不安な思いを子どもたちにさせたくないなと思って。すぐに母と子が近くに居られる環境を作りたい。それが『本音』です」

「すごく遠くの話になるんですが、『人生最期の日に笑って死ねる人生でありたい』というのが大きな夢。その夢を叶えるために、何をしていかなければいけないのか。独立前に考えてました」

「何歳で死ぬかわかんないけど、60歳くらいで趣味の園芸をやりたい。好きなことをやりたい。もともとお花屋さんになりたかったのですが、花は経営的に厳しいので、それは老後の楽しみに取っておこうと。お花を販売したり、近所の幼稚園に寄付したりとかしたいですね」

「そこまで行くにはどうしたらいいのか考えていて。50代で伝えるという仕事をしたい。講師というか、どっかで若い農家をサポートできる仕事をしたい」

「それをするために、40代で会社組織にして、そこで雇用が生まれるような実績を作って。社長業をするために、今は苦労をしていろんな経験を積むしかないと思っています。40歳までは下積み。苦労を知らない人は人の上に立つ資格はないと思っていますので」

「農業で人を雇用するのはむずかしいと言われています。でも、雇用を生み出すときには、託児所を作りたい。農業は力仕事のイメージですが、野菜の選別や袋詰めは女性向きの仕事。女性で子どもがいることで働きたいけど働けない人が働きやすいように、託児所も作って子どもを預けながら働ける会社を作りたい。そして商品パッケージには、会社のロゴと一緒に、『この商品の売上の一部は託児所に寄付されます』という表示をして、待機児童問題の解決につなげ、根本的な社会の問題を解決しながら、利益を生み出すソーシャルビジネスのスタイルをとりたいと思っています。NPOで働いた時代に学んだことをきちんと活かして」

「そんな今の自分の貴重な経験をこれから農業を志す人たちに伝えて、次の世代につなげたいですね」

 

ビーアイジーファーム

https://www.instagram.com/farmer562736/