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米川の水かぶり~見物 虎の巻~

ユネスコ無形文化遺産にも登録されている米川の水かぶりが、令和4年2月10日(木)に実施されました。

 

[米川の水かぶりとは]

登米市東和町米川に伝わる火伏行事。

毎年2月の初午(はつうま)の日に行われる。

米川の「五日町地区の男」だけが「水かぶり」の姿になり行事に参加できる。

 

来年は、令和5年2月5日(日)、「五の日」であり日曜日でもあるため、盛大に行われること間違いありません。

そこで、今年の水かぶりは終わったばかりですが、来年に向けての見物虎の巻をご紹介します。

 

〈虎の巻1 水かぶり装束について〉

神様と己をつなぐ「しめなわ」を腰と肩に3本巻き、「あたま」と「わっか」を頭からかぶり、足には草鞋、顔には火の神様のお印である竃の煤を塗り人間の顔を消し、神様に化身する。

 

【水かぶり宿であり水かぶり保存会会長の菅原さん 「あたま」と「わっか」】

会長のブログ

来訪神 米川の水かぶり 水かぶり宿ブログ 

本番の数週間前から装束を作り始める。

水かぶり当日の朝8時から、水かぶり宿で「お仕度」を始める。

男たちはめいめい縄をない、必要な「しめなわ」をなう。

年長者が次世代に伝統を伝える。

 

 

「あたま」の形には1本、2本、3本、5本とあり、それぞれ意味があり、男たちは好みの「あたま」をかぶる。

 

 

 

〈お仕度~出走~かさごす 虎の巻〉

水かぶりの一団は「水かぶり宿」を出発(10:30頃)、大慈寺境内の秋葉山大権現様に火伏祈願を行い、諏訪森大慈寺跡に祈願する。

 

 

水かぶりの一団は町へ繰り出し、家々の前に用意された手桶の水を家にかけて火伏をする。

 

 

町の人々は男たちが身に着けた「しめなわ」のわらを抜き取り火伏のお守りとする。

 

 

水かぶり一団は家々の火伏を行いながら、八幡神社とお若草稲荷に参拝後、また家々の火伏を行いながら水かぶり宿に戻る。

水かぶり一団とは別に、火男とおかめが家々を訪れ、ご祝儀をいただきに町を練り歩く。

 

いただいたご祝儀で、「かさごす」と言われる慰労の席と行事のまかないをする。

 

 

令和4年は、上は66歳から下は小学校5年生までの計15人が「水かぶり一団」として町の火伏せを行いました。

 

 

水かぶり保存会会長の菅原さん。

「守るためにどこまで広げるか悩みどころ。伝統×時代に合わせた変化をどう伝えていくかがポイント。昔は五日町の地区の男だけ、元服を迎えた男と決まっていたが、今は五日町に婿に来た男、小学生も参加している。おおきなわっかのようなもの。大人もこどもも交流できるのはおまつりのおかげ。」と話してくれました。

この年長者から次世代へというのが繰り返されて、800年以上続いています。その一員になれた人は、「伝えていくものは大事にしよう」という意識を強く持っています。

来訪神、「奇祭」として有名な「米川のみずかぶり」ですが、その心意気も「奇祭」たる所以の一つかモネ。

 

【手練れの手仕事と若輩者の手仕事のちがい】