くらし
向寒の時期、春も遠からじ…と~登米地方の手仕事~自産自消を楽しむTome暮らし⑧~
連載シリーズ、Studio.K特派員からの寄稿第8弾!
もはや特派員ではなく、連載持ちの先生ですね。
<寒さに向かう季節>
猛暑の日々を乗り越え、秋めいてきたと思う間もなく、たちまち季節は寒さに向かうことに。
猛暑・短い秋といった日々の記憶だけでなく、個人的にも2025年という1年、特に10月から11月は忘れられない「時」に。
なればこそ、私的歳時記の様相を呈しつつある雑文の積み重ねになろうとも、原稿を起こしたくなるところ。
寒さに身を置きつつ夜空に目を移せば、好きなオリオン座が南中して、玄関先からちょうど良い位置に。
ぼ~っと星を見つめる自分に、白い息のわずかな動きが寒さを気づかせてくれる。
【オリオン座の雄姿~夜空を眺めるのも、カメラを向けるのもGOOD~】

<原稿の組み立てから…>
このサイトに文章を掲載していただいてから、今回が8回目。
今さらですが、通しの主題を「登米地方の手仕事~自産自消を楽しむTome暮らし」としてスタート・連載してきたので、どうしても「野菜作り」や「畑仕事」から浮かぶトピックを組み立てていくことに。
日々の暮らしの中で向き合う「時の流れ」のようなことを、消費期限内に紡ぎ合わせてストーリーにできればと。
<向寒の時期での収穫って?>
本格的な寒さを一歩ずつ具体的にイメージするようになると、特に夕食には「あったかメニュー」を選びたくなるもの。
そんなときの主役として思い浮かぶのは、白菜や大根、キノコの仲間などが代表的か。
今シーズン、白菜と大根は2週間ほど種まきが遅れたものの、なんとか成長が追いついてくれて、間引きしたものを食べては育ちを確かめつつ、適期収穫を目指している。
【1カ所に3個ほどの種をまいたので、成長に応じた間引きが必要】

大根といえば、わが家では白い「本体」はもとより、緑の葉もこの時期ならではの大切な食材。
採りたての大根も、葉をつけたままでは「本体」が葉に栄養を取られるため、時間を置かずに境目から少し「本体」側でカット。
切り分けた葉は、丁寧に洗ってきざみ、塩でもみこむ。
軽く洗い流してよく絞り、ボールにあけて「人は登米のだし」をまぶし、寝かせること一晩。香りや歯ざわりは、まさに採りたて。
そのまま「浅漬」のように食べても、納豆にまぶしても、炒飯に混ぜて調理してもOK。ご飯が進むことといったら…。
【大根の葉は「人は登米のだし」とベストマッチ】

一方、白菜は、種をまいたら、後は育つにお任せ。ときどき雑草を抜き取る程度で、水やりや追肥をすることもなく、応援して見守るのみ。12月中旬から結球が始まるのかなと予測、今から鍋物が楽しみ。
【これから少しずつ白菜らしくなるものと】

<冬越しに向けて>
タマネギも、種まきが2週間ほど遅れたものの、6割くらいで発芽。冷え込む日々に負けず、少しずつ成長してくれている。
芽が出なかった場所には、中晩成・晩成の苗を植えて、収穫量の確保を目指している。
今シーズンは収穫の時期が遅れたこともあり、収量の3割くらいが夏を乗り切れない状態に。
反省を生かして、適期収穫を心がけねばと。
【作業の遅れもあり、頼りなさが目につく「タマネギ」たち】

種の秋まきのタイミングを外してしまったキャベツは、冬越し苗を選んでみることに。冬越しと銘打っている苗であり、今のところは冷え込みにも負けない状態とはいえ、やはり霜や降雪など、これからの天候が少し気がかり。
【寒さがきつくなる直前に植えたキャベツ苗、果たして冬越しは?】

<冬来たりなば…>
ことわざにある「冬来たりなば春遠からじ」は、直接的には「寒さが厳しい冬が訪れたということは、その先には穏やかで過ごしやすい春がやってくる」という意味で、転じて「人生には厳しく辛い時期もあるが、根気よく困難を耐え抜いた先には良い時期や幸せが訪れる」のように、先に描く希望を胸に耐えて努力を続ける姿勢を支え称える際に用いられています。
特に、厳寒&豪雪の北日本では、冬の生活を応援してくれる効果的なフレーズとも感じられるところですね。
もともとは、19世紀のイギリスの詩人による詩の一節が広く引用されるようになったもので、いくつかの国では同様の意味合いのフレーズが定着しているとか。
200年以上前の詩の一節が、日本でも普通に使われていることに、驚きもですが、作者の言葉選びや日本語に翻訳した人のセンスを思わずにはいられません。
昨今は、待ちわびた春があっという間に猛暑厳しき夏へと移りやすく、ことわざ効果もわずかにトーンダウンの傾向かも。
それでも、冬越しに向かう野菜苗を見つめつつ、励みにしながら巡りくる春を思い描いてみようと。
【冬来たりなば~雪化粧の登米懐古館~】

【春遠からじ~堤防一面の菜の花~登米市迫町北方字三方島地内】
