みどころ
「わたくしの原点」がある登米市
写真 鉄道写真家 武川健太
令和8年9月20日、「令和8年度登米秋まつり」が開催されました。
351年目。
前日の19日はその宵まつり。
宵まつりに奉納されるのが「薪能」。


今年は森舞台30周年ということで、設計された隈研吾さんにお越しいただきました。
それはもう、過密スケジュールの合間をぬってお越しいただきました。

それでも来ていただけたのがとても嬉しかった。
地元の皆さん、能を愛する方、建築や意匠が好きな方々の目に触れ、使い込まれた「森舞台」は、今、円熟味を増した風合い・風格を備えています。

この節目の年に、もし隈先生にお越しいただけるのなら、今現在の「森舞台」をご覧いただきたい、地元の皆さんに愛され、客席が満席になっている様子をご覧いただきたい!というのがそもそもの始まりでした。
「薪」能ですので、火入れの儀が行われます。

その火入れの儀の奉行様として参加していただき、ご挨拶をいただきました。

<隈研吾さん、ご挨拶要旨>
このような衣装で、このようなところで挨拶するのは人生初めてでございます。

忘れられない体験でございます。
この建物は竣工30周年。
この敷地に来た日を、今でもありありと思い出します。

この森、そしてこの竹、きれいな竹林、このままでした。
能舞台には必ず青竹を描きます。
この竹と(能舞台の)青竹がつながるような、まさに、能舞台のためにあるような土地だなと感銘を受けたことを覚えております。

せっかくのこの森、森とつながるような能舞台が出来ないかと構想しました。
限られた予算の中で、森を最大限にいかした「森舞台」にしようと、このデザインが完成しました。
(当時の)浅野宮城県知事からは感謝状をここでいただきましたが、「これは赤字の感謝状である」と気の利いたジョークをおっしゃっていただいたことを、今でもよく覚えています。
ある意味で、わたくしの原点がこの森舞台でございます。

その後、伝統芸能や和の関連のプロジェクトに携わるようになったのは、全部、これ(森舞台)がきっかけでございます。
森舞台は、能の先生から色々教わりながら、ゼロから勉強して作りましたが、まさかその後の東京の歌舞伎座、そして名古屋の御園座も設計させていただき、全部はここから始まりました。

さらに、東京オリンピックのスタジアムも、風が抜ける木のスタジアムにしようということで、この森舞台の発想をそのまま競技場に応用したもので、「森のスタジアム」と名付けました。

「森舞台」から「森のスタジアム」へ。
まさに、わたくしの30年間の軌跡がここから始まったわけです。

米山の複合施設の工事現場も先程見てきました。
登米の素晴らしい木を使って、木の香りのするような、小学校、複合施設ができます。
ちょうど来年の今頃に完成予定です。

本日は、こういう特別な30周年の時に来させていただいて、また皆さんとこのように対面することが出来て、わたくしにとって本当に人生にとって忘れられない日になりました。
登米は、これから、豊かな自然、豊かな文化をベースにして、ますます発展され、日本の中で強い存在感を発揮する場所になっていくと信じています。
わたくしも、ほんのちょっとだけ、お役に立てたことを本当に感謝しております。
森舞台から森のスタジアム。
登米の森の隈研吾。

隈先生にとって、一生忘れられない日、自分の軌跡が続く仕事がある場所。
この森舞台の土地を寄贈してくださった、御鍛冶屋さんこと哲郎さん。
登米(とよま)の人が口を開けば必ず出てくる中沢町長。
多分、客席のどこかで聞いていたと思います。

30年前、森舞台の建設に携わったトメのコメジルシの大先輩職員たちは、登米秋まつりの山車まつり部門の重鎮でもあるので、森舞台でこの隈さんのお話を直接聞けず、それでもレジェンド先輩たちもこの場所に呼べばよかったと強く思いましたが、「話し出せばきりがねぇから、(会わないくらいで)ちょうどいいんだ」とのことでした。
きっと会いたかったに違いありません。
わたくしの原点といえる作品、仕事、その後も今に続く仕事、それに携わった先輩職員たち。

後世に続く仕事。

隈先生も、とにかく予算が厳しかったことを冗談交じりに本気でおっしゃっていましたが、予算が厳しかったからこそ、床下に無造作に転がっているように見える甕は実は音響設備で、当時の登米の人々の寄贈であること、本来は能舞台では白い玉砂利を敷くところを、黒い砂利をひかざるをえなくて、結果的に、薪で上演すると室町時代の感じが出ること、武川健太さんに撮影していた写真も、この世とあの世、夢現、それを乗せるマシーンのような森舞台空間。

「ある意味わたくしの原点」である森舞台は、登米(とよま)の人々が面々と登米能を伝承してきて、それまで神社や公民館のかたすみで上演していた薪能ですが、御鍛冶屋さんが能の舞台にうってつけの土地を寄附してくださり、みんなが口を揃えて「中沢町長」という名君がいて、部下たちがいて、当時森舞台の現場担当で、今は隈事務所の社長さんをしている建築家がいて、ギャラリーをデザインしてくださった原研哉さん、あの青竹と松を描いてくださった千住博さん、そういうのが絡み合ってできた、登米能のホームグラウンド、森舞台。

きっとこれから30年どころか、もっともっと面々と続いていきます。