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町に溶け込む温故知新の校舎 教育資料館

宮城県北東部に位置する登米市登米町(とよままち)には、現代ではあまり目にすることがない明治時代の洋風建築や蔵造りの建物が多く残っていて、町を歩いているだけでも各時代の面影を感じることができるのが魅力。そのことから、登米町は「みやぎの明治村」とも呼ばれています。

そんな呼び名にふさわしい建物が、登米町の目抜き通りにある「教育資料館」。明治21年、2年半の歳月をかけて落成した旧登米高等尋常小学校の校舎が、現在は資料館として開放されています。

明治時代の洋風学校

校舎は木造二階建てのコの字型で、正面中央にバルコニー式の玄関が突き出しています。さらに特徴的なのは、廊下が吹抜けになっているところ。屋内ではなく、外にせり出ている廊下に手すりがついているのが、明治時代の校舎の特徴です。

吹き抜けの廊下
2階のバルコニーの柱のレリーフ

こうした装飾的な建築様式は、次第に堅実さを求められるようになり衰退。全国的に見てもほとんど残っていない貴重な校舎であることから、昭和56年に重要文化財に指定されました。

生まれ育った町を見つめ直して

「登米の人は、教育資料館ではなく、“文化財校舎”と呼ぶんですよ。」そう教えてくださったのは、町の観光案内所を務める「とよま観光物産センター」の佐藤康さん。この校舎に生徒として通っていらした方です。

「学校が建て替わるタイミングで仮校舎の時に通っていたのですが、廊下が外に出ていることもあって隙間風が寒かった。早く新しい校舎に移りたかったです(笑)」と笑う佐藤さん。子どもの頃からそこにあることが当たり前だった校舎は、その魅力を伝える立場になってはじめて実感したこともあるようです。

元々石の採掘や加工を行うスレートの会社を営んでいた佐藤さんは、縁あって登米町の観光分野を担う会社に、180度方向転換されました。

「当時は観光でいらっしゃるお客さんも、なんとなく町へ来て、見て、帰っていかれるような状況。これではダメだと思い、観光物産センター『遠山之里』とその中に観光案内所を作りました。登米はかつて、仙台伊達藩の一門が治めていた城下町なので、歴史的にも色んなことがあった場所。その歴史も勉強しなければならない。分かっていると思っていた生まれ育った登米町について、実は分からないことだらけだと気づいたんです。」

教科書などの展示資料から、時代の移り変わりが感じられる
表面にうねりがある大正ガラスがそのままはめこまれた窓。教育資料館の裏にある現在の登米小学校が見える

ほっとする、いい町

「登米町の建物は、移築したものがないのが特徴。地元の人にとってはそれが当たり前の風景なのですが、観光でいらした方からそこが凄いところと言って頂けるのが嬉しいです。年配の方の中には、校舎に来て懐かしい、と涙を流される方もいらっしゃいますし、一方で若い世代の方は新しさを感じるようで、それもまた面白いところだなと思います。」

後交路(うしろこうじ)という町の通りから見る“文化財校舎”が好きという佐藤さん。遮るものがなく、まっすぐ見通せる校舎のある風景を見て、良い町だなと感じるそう。

国の指定文化財であり、登米の観光名所である教育資料館。そして、それ以前に、町の人が愛着をもっている校舎を、是非見に来ませんか。

教育資料館

http://toyoma.co.jp/facilities-kyoiku/

住所 〒987-0702 宮城県登米市登米町寺池桜小路6

開館時間 9:00〜16:30

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